プロフィール

●はじめに●
はじめまして、“神代ヒカリ”と申します。このペンネームはメッセージで受けたものですのですが、恐れ多くて使えませんでした。しかし、私の中に何かの恐れがあったことに気付き、その恐れを捨て、素直に使わせていただくことにしました。
幼少期より直感や霊感が強く、人の心が読めたり予知夢をよく見ました。とはいっても勘違いしないでいただきたいのですが、私は怖いもの系は一切見えませんでした。様々な体験を通して、自然と直感が磨かれ、いつしか言霊や言葉の意味が理解できるようになってきました。様々な角度・あらゆる分野から、多くの方たちが覚醒の為の何らかのヒントになればと思い、このホームページを作成しました。まだ未完成で行き届かないところもございますが、何卒ご了承下さい。
私もここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。むしろ、幼少期の方が辛いことの連続だったような気もします。しかし、様々なことがあったからこそ多くの学びの機会があり、今日の自分があることを感謝いたしております。どんな出来事も魂の成長に必用だったので、起こっただけなのです。人生は常に、新たな発見と既存概念からの逸脱の連続で、謎々ゲームの繰り返しです。「失敗は成功の元」と昔から言うように、失敗は私たちに多くの叡智を与えてくれます。きちんとそのときに学べないと、次の時は課題が大きくなってきます。それは、神が私たちを成長させる為に課した宇宙の法則の一部で、いわゆるカルマの法則であり、誰に対しても公平です。参考までに、私の体験から得た学びの一部をご紹介いたします。
●様々な体験記●
●奇跡の生誕
母は心臓病でした。私が生まれる1年前に、持病で死にそうになり、持病の心臓病の大手術をしたそうです。その当時、心臓の手術はまだ難しかったそうです。父や祖父母たちはもうダメだと思っていたそうです。手術は何とか成功しましたが、助かったことすら奇跡だったくらい重病だったそうです。身体のことを考えて1年間は子供は作らないようにと先生から言われたそうです。
そして、私がお腹に宿り、自分の命をかけ母は私を生むことになりました。母が心臓病で死んでいたら、私の生はこの世にありませんでした。この母に生まれて大変なこともありましたが、この世に生を与えてくれた神に感謝です。だからこそ、いまがあるのだから・・・。
●真実の意味
一般の人は3歳のことの思い出といえば、普通は家族で遊園地に行ったとか楽しい思い出だけだと思います。しかし、私には不思議な記憶が残っていました。私にとっての3歳の時の記憶は、家族で行った遊園地での思い出のほか、真っ暗いところで怖い顔をした人に何かを言われたことを覚えています。言葉は現代のものではありませんが、何故かそのときから私は自分の為、家族のためではなく、一族の為と考えるようになっていきました。衰退した一族の栄華を復興させたいと何故か3歳の頃から思っていました。
幼稚園、小学校へあがってお友達の家に遊びに行くと、その怖い顔が床の間とか玄関に飾ってあるおうちもありました。歴史を習うようになった時、教科書にその顔が載っていました。それは、般若のお面でした。般若のお面の本当の意味を知ったのは、ずーっと経ってからのことですが、般若は表面ではニコニコ笑っていても実際の心は違う人間の本当の心の象徴です。つまり、真実が大切ということです。それ以来、常に一族の為と戦国時代のお姫様のようにと自分を犠牲にしてでも家を守るというような呪縛は一切なくなりました。あの般若は、どんなときでも真実が大切であるということを教えてくれたのです。
あとで知ったことですが、うちの祖母の本家のあるお城の近くのだんじり会館にあった般若のお面と3歳の頃に見たお面は同一でした。だからと言って、いまは何という感じですが・・・。血筋や家柄なんて、いま考えてみると宇宙レベルから見たら小さなことでこだわるようなことではなかったのです。3歳の時から、真実が大切であるとあの般若は伝えていたのですが、その際は私に度量がなくて気がつかなかっただけなのです。本当にすばらしい学びでした。
●エイズは細菌兵器?
8歳の頃に見た夢です。洪水の夢でした。その当時知っていた一番高いビルであったサンシャイン60くらい高いビルの5分の4くらいは大雨の為水に埋もれました。そして、お金持ちの人は潜水艦などで脱出を試みるのですが何故かそのほどんどがなくなってしまったのがわかりました。
急に場面が変わり、見たこともないような高層ビルの中の一室で黒人風の部下である人と夢の中での30歳くらいの私が話していました。
「みんな例の病気で死んでしまいましたね!」
「私の周りもみんあいなくなってしまいましたよ。」
「あの病気、猿から(病原菌が)来たとかっていう話しだけど、アメリカの軍が細菌兵器として開発してアフリカで使ったんだって。」
というような会話を交わしていました。8歳の私には、とても難しかったので意味は理解していませんでしたが、内容が難しかったので鮮明に記憶しています。
小学5年生を過ぎて、世界で変な奇病があることを知り、中学生に上がってからエイズのことを知り、それからしばらく経って18を越した頃、細菌兵器の噂を何かの本で読みました。但し、その本の内容が真実か否かは分かりませんが・・・。
エイズのことかエボラ出血熱のことかは分かりませんが、知るはずない情報を私は既に知っていたことは事実です。実に奇妙な体験です。
●言葉の大切さ
中学1年生の時、学校で合唱コンクールというものがありました。私は伴奏者だったので、毎朝練習に行かねばなりませんでした。しかし、中間テストの前だったので勉強をしたかったので、3日間仮病を使って休むことにしました。最後の日に、母に病院に連れて行かれました。行きたくはありませんでしたが、熱も無いのでお腹が痛いと嘘をついた私には拒む理由がありませんでした。おなかを押されて、「痛いですか」と問われても子供ながらにはめられるような気がして首を横に振っていましたが、今度はその先生は負けじとみぞうちのあたりを力一杯押してきました。うなずかざるおえないほどの力でした。その後、耳から血液検査をして慢性盲腸ということにされて入院することになりました。病室に連れて行かれ、置き去りにされ待っている間、ここから飛び降りて帰ろうかとも考えましたが、窓から下を見ると犬が吼えていて逃げることもできませんでした。結局あきらめて、手術も受けることになりました。嘘をついたが為に、入院して手術をするはめになってしまいました。このときの学びは、言葉は想像し、現実を創造するということです。嘘のような痛い経験でしたが、これは事実です。また、このとき言葉の大事さ言霊の素晴らしさを身を持って体感し、ほんの冗談のつもりの嘘でも現実をつくるということを学びました。
●感謝することの素晴らしさ
中学2年生のころ、難病にかかり、死にそうになったことがあります。隣の部屋で医者が母にこの子の余命は2週間ですと言っているのが聞こえてしまいました。その日はショックでしたが、母には気が付いていないふりをしてニコニコしていましたが、自分の部屋で悲しくて泣きました。翌日からは、何故か不思議なくらい物事や人や全てに対して感謝の念がわいてきました。「私は好きなことをできて、美味しいものも食べれて幸せだった。難民の人や飢餓で苦しんでいる人のことを比べたら、どんなに幸せだったのだろうか。彼らは食べたいものも食べれないし、生きたくても生きていけない。ささいなことに不平不満を持っていた自分が情けない。生きているだけでも幸せなのだから。」と感じました。その頃、幽体離脱も経験しました。この上なく至福に満たされた空間で我に返り、何故私はここにいるんだろうと思った時、下を見ると自分が横たわっていました。このままだと死んでしまうと思ったのか、一生懸命平泳ぎをして戻っていった記憶があります。意識で戻ろうとすれば簡単に戻れのに、その当時は無知だったので・・・。でも、この時戻っていなければ私はあの世に行っていたことでしょう。帰ってこれたのは、全てに対して感謝できたからだと思います。そして、この世でまだすべきことが残っていたからです。それは、言葉・言霊の素晴らしさを多くの方に伝えることと、多くの方の覚醒のサポートをすることです。
●此花咲耶媛
18歳の頃、不思議な夢を見ました。大きな山と湖と神社の鳥居と仙人のような人と女の人が出てきました。直感でその山は富士山であると感じ、富士山周辺に行くと富士吉田市に北口本宮浅間神社という神社がありました。お話しを聞いてみると、ご祀神は此花咲耶媛という女の神様でした。そして、禊ぎ払いをしてもらおうと奥へ入り驚きました。いつだったか別の時に見た天国の扉のようなものとご祀神を祀っているところの扉が全く同じだったのです。実は、この時まで私は一切神道とは縁がありませんでしたが、これを機に神道と縁ができ、啓示や夢などで教授してもらえるようになりました。考えてみたら、幼いとき住んでいた場所の近くに大きな浅間神社があったので、ある面で氏神様だったのですね!
此花咲耶媛は桜の象徴です。桜は開花を表します。また、此花咲耶媛は身をもって身の潔白を示したので、真実をも象徴しています。そして、富士山は不二であり、この世にたった一つの真実をあらわします。
●宇宙の仕組み
19歳くらいの頃、不思議な夢を見ました。母に「法隆寺宝物展が明日まで高島屋本店でやっているから、あなた好きそうだから行ってくれば。」と言われた日に見た夢です。それは不思議な夢でした。宇宙のような無の空間に、片手に剣を持ち、後ろには火がメラメラと燃えているような木でできた仏像のような人が、サンスクリット語か宇宙語か何語かは分かりませんが話し始めました。しかし、夢なので何故か言っていることは理解できました。その人は、霊界の仕組みや星にも霊界霊性があること、菩薩や神と思っている存在は宇宙で私たちの文明よりもずーっと霊性が高くすばらしい文明の星の存在であることなどを話されました。私にはそんな知識はなかったので、とにかくビックリしました。また、アインシュタインやダビンチ・ベートーベンやモーツアルトなどの偉人が現在どこの霊界でどの星に属するかなども教えてくれました。もちろん、私の霊界や星も教えてもらいました。その他、「他人がどう思おうと真実が大切だ。自分が正しいと思ったことを貫きなさい。」と私に語っていました。
翌日、法隆寺宝物展に行くと、夢に出てきた仏像のような人がいました。最終日の込んでいる中、見ていたら発見しました。彼は、不動明王でした。
●謎のサンスクリット語の意味
19歳くらいのとき、部屋にジュースか何かをこぼしてシミを作りました。クッション・フロアに何かのシンボルのようなものが浮き上がってきていました。何となく、それは凡字(サンスクリット語)であると直感ですぐにわかりました。理由は、その頃祖父が亡くなりそうだったので、早く祖父が治るようにと、どこで覚えたのか般若心経とお不動さんとお地蔵様真言をサンスクリット語で毎日ノートに書いていたからです。しかし、そのマークのような文字は見たこともありませんでした。
その後、面倒くさくなってノートに書くのをやめてしまいました。数日後、新聞では肺炎により死亡と出ていましたが、実際は祖父は風邪をこじらせ、それが元で合併症を起こし亡くなりました。
それから、そのようなことがあったことを忘れて普通の生活を送っていました。ある日、旅先であの時と同じサンスクリット語を偶然目にしました。それは、サンスクリット語のオームの文字だったのです。オームとは、サンスクリット語では全ての始まりである聖なる音だそうです。この時まで、私はこの文字を見たこともなかったのに、不思議です。
全ての始まりであり、物事のはじまりであるオームは、全ての基本でもあります。きっと、「宇宙真理の基本を思い出しなさい」という聖なるメッセージとして私に訴えたかったのでしょう。そして、約10年後に私は気付く事になりましたが、もしあの当時気が付いたら逆に無知だったが故、危険を生じたかもしれません。神のご意志に感謝いたします。
●チッチェン・イッチャへの旅
20代前半の時、NYから貧乏旅行でカンクーンに行きました。当時、まだ日本人観光客はカンクーンへは足を踏み入れている人は少なかったように思えます。学生時に、遊びでNYで語学勉強をしている時に行ったので、400ドルのエアー代とホテル代込みの格安ツアーで行きました。メキシカン・エアラインは払い下げを5回くらいしたようなボロボロな飛行機で、おまけに日本人は私たちだけであとは全て外国人、正直言って怖かったです。飛行機がカンクーンの空港に着いたとき、乗客のメキシコ人たちが「ヘイ、アミーゴ、アミーゴ」と言って涙を流して喜んでいたのが印象に残っています。きっと、無事に着いて良かったとの意味だったのでしょうか・・・。
カンクーンは東海岸の人たちにとっては日本人にとってのグアム・サイパンのようなもの。海はきれいだし、のんびりバカンスを楽しむには最高の場所です。私は現地に行くまできれいな海しかないと思っていました。ところが、そこにはマヤの遺跡がたくさんあったのです。チッチェン・イッチャへのワンデイ・ツアーがあったので、英語ツアーに参加しました。行ってみてビックリ。子供の頃から世界の七不思議みたいなノンフィクションの本が大好きだった私は、そこのピラミッドのことが書かれている書物をいくつか読んだことがありました。ピラミッドの周囲の建物のポールの影で、春分・秋分・夏至・冬至を調べたり、優れた天文技術を持つすばらしい文化を持っていました。
その当時は、ピラミッドの中へも入ることができまいた。また、チャック・ムーの像の上でも写真も撮れました。3年前に再び行った時は、保存の為禁止になっていました。
そこに行ったとき分かったのですが、私はマヤに生きていた過去を持っていました。詳細は省きますが、それはすばらしい体験でした。
●サイババ体験
1999年1月23日に、忘れられない体験をしました。昼寝をしている時に、不思議な夢を見ました。真中にサイババらしき人がいて周りの大勢の中に私はいました。その時、カメラのフラッシュのような一瞬の光が放たれ、それはいままで見たことも無いようなまぶしい真っ白い光でした。その閃光にそこにいた私を含む全ての人は飲み込まれてしまいました。夢の中で私は感電し多様な感覚になりそのまま気絶してしまいました。その後、目を覚ますとまだ身体中に電気が走っていました。その時、電話が鳴り、インドに行こうと誘いの電話がありました。実は、私は前日まではサイババのことは知りませんでした。その知人が前日に見せてくれた本に出ていたのですが、名前は聞いたことはありましたが、写真で顔を見たのはそのときが初めてでした。夢を見るまでは、何となくレゲエ頭っぽいし胡散くさそうと思っていました。しかし、夢の体験があまりにもリアルであったことから、インドに行くことに決めました。それまでは、インドに興味はあったのですが、治安は悪いそうだし、怖いそうださし、汚そうというイメージがあったのですが、不思議とインドに行くことに関し迷いはありませんでした。
しかし、初めてのインドなのでツアーにしようといろいろなツアー会社を探しました。一つだけOKだったのが、ジャパン・ネットワーク・ツアーというところが主催していたサイババ特別ツアーで山形のお坊さんの檀家さんを集めたツアーに空きがあったので、そのツアーに参加しました。
まず、羽田から関空に行き、全日空でボンベイまで行き、そこで乗換えをしてバンガロールに到着してまず一泊しました。アショカ・ホテルというホテルで1泊してから、バスでサイババのいるブッタパルティーに向かいました。道筋は遠く長いものでした。困ったのは道中でのお手洗いでした。現地の方が利用するというドライブ・インのような喫茶店のお手洗いはとても汚く我慢してしまいました。途中で我慢できなくなり、車を止めてもらい、草の陰で用を足しました。自然の中での用足しは、後ろから太陽が当たり、何となく人に見られているような恥ずかしいような、でも自然で心地良いような複雑な気持ちでした。その時、年配のおば様方はそこらで平気で用を足し、ガイドのクマールはその光景を見ていました。何とも不思議な光景でした。
インドは不思議なところで車で道路を走っているだけでも、ガンジス川を想わせるものでした。例えば、誰かが食べかけのものを捨てるとそれを拾い家へ持って帰り食べさせるものや、物乞いをするもの、誰をも神と敬うものや、人から見えるような道端で用を足すもの、つまり全てが自然であり、ありのままなのです。そんな彼らの生活を見ているだけでも、自分がいかに恵まれているか感謝することができます。
長い道のりを経て、約5時間くらい車で走り、バンガロールからブッダパルティに到着しました。キリストが40日40夜荒野を歩いたというお話しを思い出しました。苦難に耐え、真実を貫いたというお話しを・・・。また、山登りのような到達感があり新鮮なさわやかさもありました。ブッダパルティのアシュラムは、別世界で雲の上の世界という感じでした。アシュラムという修行場は、男女別々で生活し、部屋は2人部屋で簡素なベットとお湯の出ないユニットバスのみのものでした。テレビもなければ、何もない所です。しかし、自然の中で生活することにより、文明生活で忘れてしまった大切なものがよみがえってきたような気がします。そこにいる時は、風の音さえオーム(ヒンズー語の始まりの音であり、物事の始まりの音といわれている)と聞こえました。集まっている人々は様々で、世界各国の方たちがそこでは共同生活を送りました。ダルシャンというお祈りの時間にサンダルをはかず裸足で歩いていった時のあのなつかしさは何とも言えないものです。大地のエネルギーを強く感じ、かつてを思い出したような気がしました。初めてのブッタパルティーは、素晴らしい体験でした。遠くから見ているサイババの顔は閃光で輝き見えませんでした。ものすごいオーラを放ち、パワーを放っていました。
そこで、太古からのつながりがあるソウルメイトと何人か知り合うことができ、長年の謎が全て解けました。彼女たちは、いまでも大事な魂の姉妹です。
不要なものは捨て去ることができ、劇的な良い意味での変化がありました。いま考えてみると、1月23日に初めてサイババの夢を見ましたが、1月23日は123で一二三の日、プッダパルティを経った日は2月13日でこれも一二三の変形バージョン。つまり、新たなスタートを意味していたのです。
●ホツマとの出会い
ある日、飛騨高山に行った日のことです。“ホツマ”という音が天から降ってきて、身体に浸透していきました。その時は、聞いたことはあるけど意味は思い出せませんでした。しばらく経って、ホツマツタエという日本書紀や古事記より古い古文書があったということがわかりました。
別のある日、“ハタレ”という言葉が天から降ってきました。その後、杉並の知人に電話をしようとした時、下二桁を間違えて逆にかけ、猿田彦神社にかかってしまいました。氷川神社などは結構あちこちにありますが、猿田彦神社は滅多にありません。かかる確立は万に一つというところで、少ないでしょう。間違ってかかってしまったので、電話料金がかかるなら質問してみようと思い立ちました。
「間違えてしまったようです。申し訳ございません。伊勢の二見ガ浦にある神社も、猿田彦を祀っていましたよね?」
「はい、伊勢の興津神社のことですね。あそこはハタレという魔物を封じ込めた夫婦岩で有名なんですよ。」と電話口に出た方が語られました。ちなみに、この夫婦岩とはお正月の風景で有名なものです。
ハタレが魔物ということを聞き、ビックリしました。実は。この数日前に私は友達のハタレ退治をしていたのです。詳細は省かせていただきますが、宇宙のエネルギーで魔物を本来の道へと戻すことができました。不思議と怖くはなく、私も宇宙からのパワーを得た気がしました。
後で分かったのですが、ハタレとは古代のホツマの時代の言葉で魔物という意味でした。
●ギリシャでの学び
ギリシャに行った時、私はミコノス島とデロス島へ行ってきました。特に、デロス島は神秘的で、獅子の像を見たときは、普段どんなことをしても泣かない私の目から不思議と懐かしさで涙が込み上げてきました。このデロス島は、ミコノス島からさらに船で30分の遺跡の宝庫の無人島です。何でも、アポロンとアルテミスが生まれた場所でもあるんですよ!この小さな島の唯一の山であるキントス山を登る途中、シリアの館(正式名称は忘れました)というのがあり、そことライオンの絵が書かれた床がある宮殿跡は妙に懐かしく感じたのを覚えています。キントス山から見る景色は最高にすばらしかったです!!
ミコノスの白い建物から海を眺めていると、あの海からアトランティスが浮き上がってくるんじゃないかしらと感じたりもしました。容器で気さく、かつ素朴なギリシャの人々の温かいおもてなしには本当に感謝しています。
ミコノスから本当はサントリーににも行くことになっていたのですが、突風の為飛行機が飛ばず中止になり、アテネに戻りました。一日フリーな日ができたので、アテネから地下鉄を乗ってピレウスの港に行きました。そこで驚いたのが、キオスクのような売店の外壁に聖骸布に浮き出てきたといわれるイエスの顔とそっくりな顔が現れていたのです。何となく、それを見たとき、きっとイエス様が何らかの災いから身を守ってくださったんだと思いました。
●無私の愛
旅先で知人に依存され、人がよい私はその人の手助けをしてしまいました。それが元で、40度近い熱を出し寝込んでしまいました。その際、何故か喉が痛くなりました。
理由は一体何だったのでしょうか?考えました。「のどから手が出る」とかとよく言います。また、英語では“cut
one's throat”(自滅を招く)などと言います。つまり、無私の愛のつもりで知人が良くなってくれればという欲が、自滅行為であったのです。昔から、「情けは人の為ならず」とはよく言いますが、本来は人に良いことをすれば巡り巡って自分に帰ってくるという意味です。ところが、時と場合によっては、ライオンの母親が自分の子供に対して、ある時はあえて厳しくしつけて見守り、己で気が付いて解決することを学ばせるということも必用なのです。宇宙真理の法則では、本来の学びは己で体験して体得して知恵が叡智となるのです。
本当の無私の愛とは、ライオンが自分の子供に対して厳しく育てるように、または「かわいい子には旅をさせろ」と言うように、ある面では無視することも大事なのです。そして、己の力で自立できるよう、だまって見守ることも時として愛なのです。身をもって、学んだ貴重な体験でした。
●ダイエット大作戦
ある夏の日、友人の知人と会いました。その人は、薬学系のお仕事をされていたようです。現代の薬学には私は興味はないけれど、現代科学や古代の化学には興味があるとお話ししたら、ある古文書のことが書かれた本をその人は偶然か読んでいました。何故かその古文書などの話でその時は盛り上がっていました。
いろいろなお話をしたりしてお別れしてからの帰り際、ふと携帯電話を見るとかけてもいないのに“国会”と表示されていました。私は以前国会議員の秘書をしていたことがあり、国会事務所で働いていたのでそこの事務所を“国会”と表示していました。実は、その日にあった友人の知人の名が議員の名と同姓同名でした。
かけてもいないのに“国会”の表示は何の意味があるのだろうと考え、答えがきました。国会は英語でDIET、減量することもダイエット、つまり不要なものは全て捨ててしまいなさいという神からのメッセージだったのでしょう。
●エジプトでの学び
カイロに到着してスーツケースを見たら、壊されて中身が見えていました。私だけでなく多くの方のスーツケースが壊されていました。しかし、持ち歩けないくらいひどい全損だったのは、私ともう一人でした。
一通りの観光の行程も終え、カイロに戻ってきてエジプト最後の夜、みんながベリーダンスのショーを見ている時、旅行会社の人と航空会社の人たちと代用のスーツケースを街中まで探しに行きました。ホテルで売っているスーツケースも良いのがなかったので、連れて行ってもらうことになりました。連れて行かれたのは、繁華街らしいのですが、日本で言ったらアメ横のようなイメージの場所でした。狭いところにツアリスト・ポリスがたくさんいて、エジプトは正直言って想像以上に物騒なところに感じました。
翌日からのトルコの移動でどうしてもカバンが必要だったので探したのですが、どれも10年以上前の型のものしかなくあきらめてました。仕方がないので弁償に関しては現地で交渉成立し、もう二度と壊されたくなかったのでスポーツバックのような機内に持ち込みのできるタイプのアディダスと書かれたものを代用として購入しました。
旅行中は気が付きませんでしたが、帰途のイスタンブールで日本の方に、「そのバック、アディダスでなくてオディドスって書いてありますよ」と指摘されました。
旅でも何でも荷物を少なく身軽にしなさいという教訓でした。軽いはlightなので、光に通じるからなのです。そして、外ではなく中身(真我)がいかに大事かということを、現象として教えてもらった旅でした。
●前世療法との出会い
気がつくと意識はしていませんでしたが、いつもボランティアでカウンセリングをしていました。特に勉強はしたことはなく、ただ神からの直感で答えているだけのことなのです。あなたに相談すると全てが良くなったとか、普通の人が分からないことが分かるなど言われ、自分の意思に反して、勝手に口コミで電話がかかってくるようになり、毎日のように2〜3時間かけてくる人もいて正直言って困惑していました。一時は、電話が鳴ると番号チェックをしてからでないと電話に出たくないほどになりました。
最初は、無私の愛の奉仕のつもりで知り合いが良くなってくれるならと思っていましたが、相手からの過度な依存心を感じるようになり、これは宇宙真理の法則に反していると思うようになりました。本来の無視の愛は、おのおのが自ら魂の気付きを得て、体得して叡智とすることです。そこで、おのおのが自ら魂の気付きを得られるようなことはないかと模索していたところ、インターネットで前世療法というものがあることを知りました。その後、前世療法で世界的に有名なカエタノ女史に師事して学ぶことにしました。真の自分に戻す為、依存されずに、相手をサポートすることができるよい方法はないかと思っていたからです。
本音で言うと、自分が体験してみたり多くの方の体験の様子を見るまでは、本当にこんなもので効果があるのかと思っていました。しかし、実際は自らが魂の気付きを得て覚醒していくすばらしい療法だということあらためて実感しました。そして、相手のスッキリした笑顔を見ると、サポートができて良かったと思います。そして、何よりもすてきなことはクライアント自らが魂の気付きを得て真の自分に帰ることができることです。その度ごとに、クライアントだけでなく私もすばらしいプレゼントとしてメッセージをいただきます。
●セントーサの蓮の花
セントーサは、現地の言葉で「平和と静けさ」という意味だそうです。大きなマーライオンがある公園ので、ファウンテン・ショーというのがありました。噴水の水ときれいなライトの光でのショーです。その大きな噴水の前には蓮の花をかたどったようなシンボルな絵がありました。水と光での浄化&覚醒を意味しているように思えました。そして、このセントーサは私の大好きな蓮の花がシンボルのようでした。泊ったリゾート・ホテルも・・・。
シンガポール内の名前は忘れましたがヒンズー寺院のある神様の乗り物がやはり蓮だそうです。そこの天井を見ると、蓮の花をかたどったところからライトがついていました。お釈迦様などの聖人やエジプトやアトランティスも蓮の花との縁が強いし・・・。
何か蓮つながりのすてきな旅でした。
そして、人工的なシンガポールの町で、世界平和と霊性向上を何気に訴えている普通の人が見たらただのショーであるファウンテン・ショーに何故かとても魅了されてしまいました。